キリン電波製造所

妄想小話を一日一つ書いていました。全てが全て虚構のお話です。

pride

榊田さんはいつだって、誰からも好かれて慕われている。どんなときも誰かが側にいて、いつもみんなの輪の中心にいるのだ。

あるとき彼女に聞いてみた。
「どうしたら榊田さんみたいに誰からも好かれるようになる?」
彼女はただ笑った。
きっと下らぬ質問だったのだろう。魚にエラ呼吸の仕方を尋ねるようなものだ。
恥ずかしくてなんとか他の話題にそらそうとしたときだ。
「私はズルをしているだけだから」
フライパンの上の水が蒸発したように笑いは止み、彼女はえらく真面目な面持ちで言った。

「私ね、不思議な力があるの」
「人に好かれる力」
「違うわ。不思議な力を使っているから、好かれるの」
榊田さんは私の顔をじっと眺めた。
それは射抜かれるような熱視線。
不思議な力とは一体何なのだろう。
「ピアノ、やってたよね」
「う、うん」
私は小さい頃からピアノを習っている。
腕前はそこそこで、合唱コンクールや学校の式典などではよく伴奏を任されている。
それは榊田さんも知っているはずだ。

「とっても上手だけどさ、私、あなたの歌声が好きだな」
どきっと胸が高鳴り、顔がぐんぐん紅潮していくのがわかる。
「なんなのよ藪から棒に。私、榊田さんの前で歌ったことあったっけ?」
「ほら音楽のテストのとき。歌ってるのを聞いたの。すごくきれいだなって、思ってた」
いつだって私はピアノを弾かされることが不満だった。
ほんとは歌うのが好きで、誰よりもうまく歌えると密かな自信があった。けれども私はもうピアノを弾ける人としてみんなに認識されてしまっていて、いつだってピアノが関わるときは私の名前が浮かぶ。
ピアノは嫌いではなかったけれど、私から歌うチャンスを奪っていくことはもうずっと嫌気が差していた。
本当はただ歌いたい。そして歌を褒めてもらいたい。
いつだってそう思っていた。
だから、榊田さんに私の歌声を褒められたことはこの上ない喜びだった。

そして私はまさか、と気付いた。それはさながら冷水のよう。私めがけて放たれた水は瞬く間に体温を奪っていく。

「そう。私には分かるの。その人がどんなことを誇りとしているかっていうことが」

その人を見るだけで、文字を読むように分かるのだそうだ。
その人が一体どんなことに自信を持っていて、何を至高としているのかが。

「私はそれについて持て囃しているだけ。そうすれば相手は良い気分になって、良い気分になることを言ってくれる私の事を好きになってくれる。ただそれだけ」
だからズルだって言ったでしょう?
そう言った彼女の横顔には、誰もを惹きつけるような優しい笑顔は面影すらもない。

「そうやって得た人気って、一体何の意味があるんだろうね。気持ちいいことをしてくれれば、誰だって良く思ってくれるだろうけど、それは気持ちいいことをしてくれるから好きなだけであって、私の事が好きなわけじゃないよ」
「榊田さんは、その力が嫌い?」
「力は嫌いじゃないよ。ただ――」
「‘ただ、その力に頼ってしまう安易で弱い自分が嫌い‘」
榊田さんは目を丸くして驚いた。
驚くほどのことでもないだろうに。
「私にも不思議な力があるみたいだね」
彼女の持っているらしい不思議な力も、私が使ったまがい物の力も、結局の所は何の意味も無い。
ただ人が誰しもどこかで無意識に使っている、コミュニケーションの一部でしかない。
うまく使えばうまく行くし、使いどころを間違えれば酷い目にあう。それだけ。

例えその人が誇りに思ってることが分かったとしても、私には絶対に使いこなせなかっただろう。
きっとかえって怒らせていたに違いない。
彼女を慕う沢山の人の中には、ちゃんと彼女のことを分かってくれている人だっているはずだ。
けれど私はそんな慰めじみたことはひとことも言わず、私の大好きな歌を口ずさんだ。

それを彼女は隣で静かに聴いているのだった。

極秘資料

録音された音声を再生すると、まず喧噪が遠く聞こえた。
雑踏と言うよりも、どこか飲み屋にでもいるようだった。
そして男の声と、酩酊の境を漂うような女の声が聞こえる。
幾分男の声の方がはっきり聞こえるので、録音したのはきっと男だろう。そしてきっと、女の方には許可を取っていないに違いない。

――本当に仕事を選ばないですよね。いやぁ、尊敬しちゃうな
『ほんと、そんな大した物じゃないのよ。あたし、鼻低いのコンプレックスなの』

――天狗ではないと(笑)苦労していらっしゃるのに
『苦労したからこそなのかしらね。家出同然でロンドンから日本に渡って、身一つでマスコットやってたけどさ、人気商売って辛いわよ。
 デビュー当時はさ、グッズの売上げも好調だったし周りの人からもすごいちやほやされんの。
 だけど調子乗ってたらすぐ波が引いてさ、あーこれやばいなってほんと思った。
 プロデューサーの交代とかごたごたもあった時期なんだけど、もうがむしゃらに営業頑張った。
 それでまあお陰様で会社の稼ぎ頭ってわけですよ』

――努力の賜物と
『いやでもこれはね、もうほんとあたしだけの成功じゃなくて、いろんな人のおかげ。
 いろんな人があたしを応援してくれて、支えてくれた。
 今でも頭が上がらないわ。
 けどやっぱりブーム来てからすり寄ってくる人は苦手。どうせお前らあたしが落ちぶれたら見捨てるんだろってね』

――じゃあ僕も苦手ですかね(笑)
『うん、苦手(笑)
 人気ってさ、永遠に続くとは限らないじゃない? 黒ネズミとかは別格としても、いずれは衰えて忘れ去られる。
 自分もそうなるところだったし、そうなっていったマスコットを山ほど見てきたから、ほんとにそれだけが怖いの。
 だから、どんなにひっどい仕事でも、声を掛けてもらえたらなるべく受けるようにしている。
 その仕事がもしかしたら次に繋がってるかもしれないし、少なくとも自分の糧にはなるじゃない。
 そういう、泥臭い生き方があたしには似合ってると思うの。
 あ、煙草はダメね。苦手だから』

――なるほど。そういえばご家族も時々ご出演されていますよね? 復縁は割と早い段階で?
『あいつらも人気出てからすり寄ってきたクチよ。それでもまぁあんなクズみたいなやつらでも家族だから。今でも一緒に仕事してるけどね』

――本当に心が広いですよ
『だからやめてってば。そういうのじゃない。嫌われたくないだけ』


――でも、そろそろ引退も考えているのでは?
『それは、まぁ、ね。けど後釜がね、なかなか育たなくて。あたしに頼りっきりってのも困ったものよ』

――いつまでも頑張ってもらいたいところですよ(笑)
『良く言うわ(笑)』


『あれー? キティさんじゃないですかー。お疲れさまですぅ』
『あらマイメロちゃん、おつかれ』


そこで録音は終わっていた。

終演

明日世界が終わるとして、と彼は言った。 私はその先に続く言葉がどんなものかを期待した。
世界の終わりについての話はいつだって胸が高鳴る。人類数万年の歴史がいまここで途切れるとき、歴史の最後の一ページにいま私がここにいるということを、不謹慎ながら誇らしく思う。
未練ならたくさんある。しかしそれらは世界の終わりという巨大な事象によってすべてが流されてしまう。

果たして世界はどのように幕を引くのか。 地殻変動?
隕石追突?
太陽フレア?

あらゆる終末の行く末を数瞬思い描いている間に彼の口は次の言葉を紡いでいた。

「明日世界が終わるとして、最後に何を食べたい?」

世界は終わらなかったけれど、私のなかでなにかが弾けて終わってしまった。
世界の終わりなどそこにはなにもなく、六億円当たったらとか無人島に行くとしたらのような予め可能性を考慮していないただの世間話が始まりそうであった。
そんなことは全くどうだって良く、何もわくわくすることはない。
最後の晩餐なんて気取らず卵かけごはんでも食べてればいい。

「そんなことよりも、明後日新しい世界が生まれて、一番はじめに何を食べたい?」

こうして世界の終焉は未然に防がれた。

過去

「これが初めてのとき。これが五才のとき。こっちが十才。これが十五才で、これが二十歳のとき」

ひとつひとつ丁寧に取り出されたしわしわのそれは彼女の成長の証し。
彼女は成長の度に脱皮する。
蛇のように、蟹のように、古い姿を脱ぎ捨てる。

「本当に脱皮するんだね」
「なんだか恥ずかしいな」
彼女は照れながらもその彼女だったものを優しく撫でていた。
水分の抜けた脱け殻はすでに人の形はしておらず、くしゃくしゃに縮んだ何かでしかない。
二十歳の頃の物だけはわずかにしなやかさを残している。僕の知らない彼女の姿がいま僕の手のひらの上にあった。

この時僕は何をしていただろう。
僕だったものはもはやこの世に残っていない。
こうして自分の姿が手に取ることのできる形で残っていることは、なんだか少し羨ましく思うのだった。

冬の雷

ドアノブに手を近づけて、触れる直前に手を止めた。
あぁ、けれども今日は雨だったのだと思い出し、ぎゅっと握る。
冷たい感触だけが伝わってきた。

あれは確かに日常生活におけるまさしく刺激でる。
油断をすればびりりと指先を弾くそれは、平和ボケした我々への警告である。

私が食べることが早い理由は三つある。

一つ目は食べる事が好きではなかったから。
小さい頃、私は食の細い子どもだった。
好き嫌いが多かったために出されたもののほとんどは食べられず
それについてよく叱られたものである。
特に給食の時間は苦痛で、早く時が過ぎればいいと思った。

二つ目は早く食べてしまわないとお腹いっぱいになってしまうから。
小学校に上がるにつれだんだんと好き嫌いは減ったが、同年代の子どもと比べれば食は細く、食べられる量はさほど多くなかった。
時間を掛けて食べるとお腹がいっぱいになってしまうので、早く食べてしまうよう気をつけた。


そうして私は大人になってもその習慣が抜けきれずにいる。

食事をすることは苦でなくなったが、心のどこかで途中でお腹いっぱいになってしまったらどうしようという恐怖心がくすぶっている。
行儀は良くないが、怒る人などどこにもいないのに。
だから私はいつでもゆっくり噛むこともせず、流し込むように作業するように黙々と食事を進める。

そんな習慣が祟ったのか、ある日私は胃を壊した。

医者からは消化の良い物をゆっくりと噛んで食べるよう指導を受けたが、ここで三つ目の理由が私の中で見つかった。
味わってよく噛んで食べる事の気持ち悪さだ。
体のためにいたわるように物を噛んで食べるようになったが、一体どこまで噛み続けなければいけないのか分からない。
いつしか味はなくなって、ぐちゃぐちゃの物体が口の中でいっぱいになる。そのイメージが鮮明になるにつれ、食欲は失われていく。
どれだけ素晴らしく盛りつけられた料理も、こうなっては何とも無惨だ。

健康と引き替えに私は美味を失わなければならないのだろうか。

力うどんをすすりながら、私のこれからの食生活について苦悩する。

そんなことをしていると、いつの間にかお腹がいっぱいになってしまっていた。