キリン電波製造所

妄想小話を一日一つ書いていました。全てが全て虚構のお話です。

マリア

「お父さん、話があるの」
娘が私の前に座った。
それが心躍るような話でないことはその表情から容易に察することができる。
波がみるみるうちに引いていくのを感じながら、私はぐっと大津波が襲ってくることを覚悟した。
「何だ」
「あのね、私……。赤ちゃんができたの」
私は大きくため息をつく。
しかし、いつかはこんな日が来るのではないかと思っていた。
決して素行が悪いというわけではない。だが、真っ当に生きてきた自分から見れば『浮ついている』というか不真面目な生き方をしているように見える。
大学に入ってからはますますその傾向が顕著になり、サークルだ飲み会だクラブだ合コンだと毎日遊び歩いている。
その挙げ句に妊娠とは。こんな娘に育てた覚えはないのだが、そんな愚痴を言ってもどうしようもない。
「相手は誰だ。同級生か」
「違うの、聞いてお父さん」
同級生ではない? 私はより一層こわばった気分になる。
「相手は居ないの。処女懐胎なのよ」
「うん?」
「聖霊の子なの。天使様が授けてくれた、後の世を統べる救世主であり、神となるべき人間なのよ」
これは想像していたのとは別のベクトルで育て方を間違ってしまったかもしれない。
産婦人科ではない別の病院へ行く必要があるんじゃなかろうな。
「落ち着いて話しなさい。何だって?」
「だからね、私は男の人とそういうことをしたわけではないの。けれど私のお腹には赤ちゃんがいるの。言ってること分かる?」
「お前こそ自分の言っていることが分かっているのか?」
今日日小学生でも生命の成り立ちを心得ているというのに、この娘ときたら。
「そうだよね。信じられるわけがないよね。私だってとても不思議に思っているもの」
「ちゃんと検査はしてきたのか? つまり、その、単に遅れているとかではなくて」
「病院で見てもらってきた。三ヶ月だって」
「そうか。とりあえず本当のことを話なさい。お父さん怒らないから」
「信じてよお父さん。本当なの。本当に天使様が私の元に現れて授けてくださったのよ」
「お前は何を言ってるんだ」
「お父さんだって分かるでしょう。いまのこの混沌に満ちた世界のこと。貧富の差は広がり、紛争は絶えず、人々の心は荒んでいる。誰も彼もが利己的で、博愛主義者が損をする世の中じゃない。そんなことがまかり通って良いと思う? 私はそんなの納得が出来ない」
頭がどうにかなってしまったのではと疑っていたけれども、その瞳は狂気よりも彼女なりに世を憂う慈悲の色が輝いていた。
宗教的なものに感化されてしまったことに対しての抵抗感はあったが、彼女の言い分が間違っているとは思わない。
正直者が馬鹿を見るような世の中は私だって間違っていると感じているし、それを正したいと思う彼女の気持ちもまた真実であろう。
だからといって処女懐胎などという奇跡が起りうるのだろうか?

「じゃあお父さんは目の前で起きた奇跡体験をどうすれば信じてくれるの?」
私は言葉に詰まる。
たとえば目の前で奇跡が起きたとしよう。
何でも良い。空中浮遊でも壊れたものの再生でも構わない。
それを目の前で見たとして、私はそれを信じるだろうか。
タネと仕掛けのある手品か錯視を利用したトリックか。とにかく目の前で起きたことをありのまま受け入れるなんてことはしない。
しかしタネも仕掛けもトリックもないただの奇跡を、それを信じられない人間に一体どう信じさせることができるだろう。

「私の事を受け入れて。ありのままの私を愛して。それが世界平和の一歩であり、この子が後世に伝えていく教義なのよ」

私のかわいい娘。
時には反発され、衝突したりもした。
不出来な部分もあったが、紛れもなく私の愛する娘である。
そんな娘を私が信じてやれなくてどうするんだ。

受け入れよう。ありのままの彼女を愛そう。
そして生まれてきた神の子と共に、この世界の誤りを正していこう。

「信じてくれてありがとう、お父さん」
「きっとこれから沢山の人がお前の事を非難するだろう。けれど胸を張っていなさい。私はいつだってお前の味方をしてあげるから」
「うん」
娘は滲んだ涙を人さし指で拭い、こう続けた。

「けどね、生まれてくる子供のことを考えると仮初でも父親となってくれる人がいるべきだと思うから、彼を連れてきました」
「こんちゃーっす」
「てめぇが娘を孕ませたのか!!」